NEWS

OTHER

スターダスト☆レビューを生み出してくれた深川昌弘氏へ哀悼の意を捧げます

SHARE:
  • twitter
  • facebook

僕ら「スターダスト☆レビュー」の生みの親というべき恩人、深川昌弘氏がお亡くなりました。

72歳でした。今はただただご冥福を祈るばかりです。

 

僕らはアマチュア時代「アレレのレ」というバンド名で、渋谷の屋根裏や道玄坂のヤマハ店でよくライブをやらせてもらっていました。

 

その頃のライブを観て「レコーディングしよう」と声をかけてくださったのが当時ワーナーパイオニアのレコーディングディレクターだった深川昌弘氏でした。当時の僕らはクソ生意気で「別に音楽性を変えてまでプロになりたくない」と、それまでもいくつかのお誘いを断るような井の中の蛙バンドでしたが、深川さんはそ
んな僕らの戯言に腹も立てずに何度も何度もライブに足を運んでくれ、そのたびに喫茶店で話をしながら「君たちは凄いバンドだよ」「絶対にヒット曲を出せるから」と本当に手放しで褒めてくれてたのです。

もちろん「こうすればもっと面白い音が創れるのでは」というアドバイスやアイディアもたくさんもらいました。
そんなことからトントン拍子に話は進み、僕らは「スターダスト☆レビュー」として1981年にデビューするのですが、そのアルバムレコーディングでも未知なるスタジオの中で、緊張もあれば思い通りの音が作れないジレンマや葛藤もあり、それでも僕らと一緒に悩み一緒に乗り越えてくれた人でした。

さらにそんなバンドを売ろうと、日々駆け回りあちこちにプロモーションしてくれた人でもあります。

でも、そんな苦悩や苦労を乗り越えて生まれた1stアルバムも2ndアルバムも実際はほとんど売れず「来年の契約はない」という時期に、僕らはライブをやり続け、そんな中で出来上がった「夢伝説」を84年のカルピスのCMソングへと繋げてくれた人でもありました。
感情をいつも表に出すような人ではなかったけど、とにかく一緒に悩み、出来上がった時には本当に嬉しそうな顔で「よし、売れるぞ」と大爆笑。

そうそう、思い出すのは深川さんの笑い声。必ずみんなよりワンテンポ遅れて笑うんです。だからみんなその声でまた笑い出して、まさにスタジオの中で笑いの連鎖反応。デビューの頃って全然売れてないのに、深川さんと一緒にディレクションしてくれた山内さんと、ずっと笑っていたような気がします。

 

深川さんは「夢伝説」の頃に一度倒れられて、しばらくスタレビから離れられた時期もありましたが、ずっとずっとスタレビに愛情をくださいました。

僕らは相変わらず売れてるバンドになれてないけどけど、それでもいつも恩返しがしたくて周年の時期は必ず一緒に飲んだり、ライブにも来てくださっていましたが、残念ながらここ数年はコロナ禍もあり、結局お会い出来ずに旅立ってしまいました。

 

深川さん、デビューする前の1,2年、本当によく話しましたよね。電話なんて毎日していたんじゃないですか。あの頃に、僕はあなたから音楽に対する真摯な思いと、音楽に対する自信を頂きましたよ。僕のやりたいことや作りたい音に頷いてくれた深川さん、あなたがいたから僕は今も自信を持って音楽を作り続けていられます。

 

もっともっとあなたに恩返しがしたかったです。

 

向こうでも新しいバンド見つけて、じっくり育ててあげてくださいね。

そして僕が向こうに行ったら、またその薄いサングラスから見えるつぶらな瞳で声かけてください。

 

本当に本当に、本当にありがとう。

      

スターダスト☆レビュー もと「アレレのレ」  根本 要